日本のメガネフレーム生産においてシェア90%以上を誇り、世界でもメガネの三大生産地に数えられる、福井県鯖江市。明治期より始まったメガネづくりは、今でも職人による分業にて、工程を簡略化せず、まち全体で行っている。どうして鯖江のメガネは高品質とうたわれ、世界中から求められ続けるのか、実際に現場を訪れてみた。
……そもそも、どうして“鯖江のメガネ”は有名になったの?
まち全体でメガネづくりを行うことで、最高峰の技術と高い志が育っていった
鯖江市でメガネづくりが始まったのは1905年(明治38年)。冬が雪深く作物が育ちにくい地に産業を興すため、メガネ職人を呼び寄せたとされている。メガネづくりというひとつの産業でまち全体でご飯を食べていこうと、パーツごとに細かく分業にしたことで、仲間意識や使命感が育ち、世界最高峰と言われる技術が育っていった。
特に、古くからあるプラスチック素材「セルロイド」でフレームをつくる技術、軽くて錆びにくい「チタン」素材をフレームに開発した技術は、ほかではなし得なかったもの。そして生産の機械化が進む今なお、鯖江ではプラスチックフレームでは100~150、チタンフレームでは250~300かかるともいわれる工程を、簡略化することなく、職人による分業で行っている。すべては、永くかけ続けられる上質なメガネをつくるため。鯖江市のあちこちでは可愛らしいメガネのモニュメントが見かけられ、まち全体でメガネづくりを支えている。
『めがねミュージアム』では鯖江市におけるメガネの歴史を見ることができる。昔使われていた貴重な機械の展示も。
『めがねミュージアム』近くの駐車場ではガードレールがさりげなくメガネの形に!
案内いただいたのは…
山森眼鏡 代表取締役社長
山森元太さん
デザインや企画から、素材の輸入や販売まで行う、メガネに特化した商社の二代目社長。
鯖江のメガネのすごさを知る。
上質なメガネをつくり続ける鯖江。手間がかかり扱いも難しいセルロイド素材を加工する技術、世界で初めてチタンフレームを開発した技術、特に素晴らしいとされている2点を掘り下げてみた。
「セルロイド」を使ったセルフレーム
昔はプラスチックフレームといえばセルロイドだったが、最近アセテート素材が主流になっているのは、ずばりセルロイドの扱いが難しいから。しかし鯖江の熟練の職人により時間と手間をかけつくられたセルロイドフレームは色つやが美しく、また硬い素材なので耐久性も抜群。さらに経年劣化で味が出るという特徴も兼ね備える。今や希少で世界中が求めるメガネに。
鯖江ならではのセルロイドフレームはフレームとテンプルのつなぎめがとても滑らか。はみ出た部分はカットし、凸凹がなくなるよう丁寧に磨く。この行程は鯖江以外では行わないところもあるそうで、使い心地に徹底的にこだわったものだ。
セルロイドは磨きに時間がかかるが、磨き上げると深みのあるつやが美しく輝く。セルロイド生地から切り出したばかりのフレームと、仕上がったフレームを比べれば一目瞭然で、この独特の美しさを求めて鯖江メガネを選ぶ人は多い。
「チタンフレーム」の技術開発
軽くて強くてサビないけど、細かい加工に向いていなかったチタンをメガネフレームに最初に開発したのが鯖江。メガネづくりの歴史からチタンを加工する技術をいくつも考案し、フレームをつくりだした。細くて軽くて、かけ続けても負担がなく、またしなやかでこわれにくい鯖江のチタンフレームが、世界のスタンダードになったのだ。
昔はチタン同士は溶接ができず、各パーツにメッキをかけロウづけする技術を鯖江が生み出した。今は真空状態でチタンを融合させる方法が開発され、鯖江の職人の高い技術が、繊細でありながら頑丈なフレームを実現している。
こちらはメッキをかける前のチタン。チタンは傷がつくと消しにくく、ちょっとした傷でも上からメッキをかけると目立ちやすくなってしまうので、メッキをかける前に徹底的に磨き上げる。この根気強いとも思われる磨きの技術も鯖江ならでは。
◎Photo / Uehara Mitsugu ◎Special Thanks / OWNDAYS