2024.07.20

鯖江にこだわる 金子眼鏡の「実は……」な話

メガネの一大産地である鯖江で誕生した金子眼鏡。眼鏡の老舗卸問屋から、アイウェアブランドへと進化を遂げたその過程には意外なエピソードの数々がありました。知れば知るほどおもしろい金子眼鏡の世界を覗いてみよう。

 

 

 

「金子眼鏡」という屋号を巡って親子喧嘩が勃発していた

メガネの卸問屋だった金子眼鏡でオリジナルブランドを誕生させた現在の代表、金子真也さんは、海外進出や自社工場の立ち上げなど、大きな改革を進めてきました。そんな彼が唯一変えられなかったのが屋号。欧文表記への変更を画策するも、先代で父親の鍾圭さんが断固拒否したため、ついに屋号の変更は実現しませんでした。考えの違いから親子喧嘩にまで発展したけれど、今となっては真也さんも漢字表記を気に入っているそう。(写真は真也さんが幼少期のころの社用車)

 

 

人気の職人シリーズは職人自らの売り込み営業がきっかけ

メガネの製造は分業制が一般的で、ひとつひとつの工程にはそれぞれ職人がいます。そんな中、人気なのがひとりで1本のメガネを仕上げる職人シリーズ。きっかけは廃業寸前の山本泰八郎氏が売り込み営業に来たこと。職人が営業に来るのは珍しいことだったが、彼の丁寧なセルロイドフレームに惚れ込んだ真也さんはすぐに業務提携、泰八郎謹製として発売。以降、井戸多美男作や與市など職人の名を冠した職人シリーズが誕生しました。(写真は鯖江の職人がフレームを研磨する様子)

 

 

自社工場はたった1人の社員から始まった

金子眼鏡の最大の特徴は、一貫生産体制の自社工場、「バックステージ」を持っていること。分業制が当たり前のメガネ業界においてこれは異例。さらに驚くべきは、自社工場を試みた2006年、従業員はメガネづくり初心者1名のみだったということ。廃業したメガネ工場を譲り受け、熟練の職人を招き、イチからメガネづくりを学んだそう。従業員は数年で10人に、現在は75人の従業員が、金子眼鏡の高い品質を保っています。(写真は2006年に立ち上げたばかりの自社工房)

 

 

イッセイミヤケのアイウェア部門は金子眼鏡が担当している

メガネをより自由に、ファッションの一部として楽しんでほしいという思いから、これまで数多くのアパレルブランドとタッグを組み、コラボ商品を生み出してきました。そのひとつがイッセイミヤケのアイウェアプロジェクトであるイッセイ ミヤケ アイズ。2015年のローンチから現在に至るで、すべてのアイテムを手がけている。毎シーズン、ブランドの自由な発想を実現するため、職人たちが試行錯誤を繰り返して商品を誕生させているのだとか。(写真は最新モデルのマロウ)

 

 

初の直営店は函館にオープンした

1998年、金子眼鏡が初めての直営店をオープンさせたのは、鯖江でもなく、東京でもなく、なんと北海道の函館。真也さんが自社で営業職をしていたときに、周りの人によくしてもらった、言わば第二の故郷なんだそう。店名はフェイシャル インデックス スペクタクルズ。漢字のブランド名からは想像しにくい名前や、スタイリッシュな店構えはメガネにモダンなイメージを添えたいという思いから。(写真は函館の店舗の外観)

 

 
 
 
 
 

◎Special Thanks / KANEKO OPTICAL

 
mina2024年 8・9月号より
 
商品情報は取材時のもので、記事をご覧になったタイミングで変更となっている可能性があります。

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